Youtubeのコメント欄にいる偉そうなおじさんに説教された話。

Youtubeのコメント欄にいる偉そうなおじさんに説教された話。

YouTubeを始めたての頃に直面したある「事件」。

キャリアに関する発信に対して届いたのは、画面を埋め尽くすほどの長文説教でした。

正社員絶対主義を否定した私への猛反論ですが、その内容は時代錯誤な価値観の押し付け。

今回は、YouTubeのコメント欄に現れる「偉そうなおじさん」の生態を分析し、彼らを反面教師として、私たちが「痛い大人」にならずに変化の激しい時代を生き抜くためのマインドセットを考察します。

目次

平和なYouTubeチャンネルに偉そうなおじさんが現れた

私のチャンネルは、キャリアの多様性や「正社員という枠に縛られない生き方」を提案する前向きな場所。

視聴者さんからも「心が軽くなった」「一歩踏み出す勇気が出た」といった温かい声が届く、穏やかなコミュニティでした。

しかし、その平穏を破る通知が届きます。

画面を埋め尽くす「文字の壁」

スマホを開くと、そこには他のコメント30人分はあろうかという長文。

  • 君のような甘い考えが日本をダメにする
  • 社会の厳しさをわかっていない
  • 私は〇〇業界で30年やってきたが……

スクロールしても終わらないその文章は、もはやアドバイスではなく、「自分の過去の栄光を肯定するための聖書」。

論理的な批判ならまだしも、そこにあるのは時代錯誤な価値観の押し付けと見下したような高圧的な態度でした。

「正社員絶対主義」を否定したら、長文の説教が飛んできた件

私が動画で伝えたかったのは、「正社員という形態が悪い」ということではありません。

「正社員であれば一生安泰という思考停止が、今の時代にはもっとも危険なリスクになる」という、極めて現実的なキャリア論でした。

しかし、そこに現れた「説教おじさん」の逆鱗に触れたのは、まさにその「前提」でした。

読むだけで疲弊する「おじさん構文」のフルコース

彼のコメントは、もはや一つの「文学」と呼べるほど独特な圧を放っていました。

  • まずは石の上にも三年という、根拠不明な精神論のゴリ押し。
  • 厚生年金や福利厚生の重みをわかっていないという、マネーリテラシーの低さを突く(つもりの)ドヤ顔解説。
  • 私のようなベテランから言わせれば……という、誰も求めていないキャリア自慢。

これらを、改行のない巨大なテキストの塊でぶつけられた時、私は思いました。

「この人は、私の動画の内容を理解したいのではなく、単に自分の『正解』を叫べる場所を探していただけなんだな」と。

昭和・平成の「成功体験」という呪縛

おじさんがここまで必死に正社員を神格化するのは、彼自身がそのシステムに人生のすべてを捧げてきたからです。

「今の時代に正社員絶対主義だと詰む」という私の言葉は、彼にとっては「お前のこれまでの人生は間違いだった」と突きつけられたように聞こえたのかもしれません。

「長文」=「余裕のなさ」の証明

本当に自信がある人や、相手を尊重できる人は、短く的確な言葉を添えるものです。

画面を埋め尽くすほどの長文を打ち込むその指先には、「自分の正しさを認めさせなければ気が済まない」という焦りと執着が滲み出ていました。

なぜYouTubeのコメント欄には「偉そうなおじさん」が湧くのか?

一見、自信満々に教えを垂れているように見える彼らですが、その心理を解剖してみると現代社会に取り残された人々の「悲しい生存戦略」が見えてきます。

現実世界での「居場所」の喪失

かつて会社で「課長」「部長」と呼ばれ、部下に指示を出していた人々も、一歩外に出れば「ただの人」です。

退職や役職定年、あるいは若手が主役の現場で、自分の言葉が誰にも響かなくなった孤独。

その「誰かに教えたい、認められたい」という肥大化した承認欲求の出口が、たまたま見つけたYouTubeのコメント欄だったというわけです。

「正義」という名の快感ドーパミン

脳科学的にも、他人に説教をしたり間違いを正したりする行為は、脳内に快感物質(ドーパミン)を放出させると言われています。

特に自分より若く、かつ自分の価値観を脅かすような新しい発信をしている若者に対して「教育してやる」というスタンスを取ることは、彼らにとって最高に気持ちいい娯楽になってしまっているのです。

匿名性と「お客様」意識の履き違え

YouTubeをテレビと同じ感覚で視聴している層にとって、投稿者は「出演者」であり、自分は「視聴者様=お客様」です。

「金も払わず見ているのに、なぜか偉そう」という歪んだ力関係が成立し、「自分の気に入らない意見には文句を言う権利がある」と勘違いしてしまいます。

説教おじさんの思考パターン比較

項目 説教おじさんの思考 現代の柔軟な思考
変化への対応 「昔はこうだった」と過去の常識で否定する 「今はこうなんだ」と新しい変化を面白がる
会話の目的 相手を論破して自分の優位性を確認する 異なる意見を聴いて自分の視野を広げる
若者への視線 「苦労を知らない未熟者」として見下す 「新しい時代の先駆者」としてリスペクトする
情報の鮮度 30年前の成功体験が今も通用すると信じている 常に知識のOSをアップデートし続けている
発信の矛先 他人のコメント欄に粘着してエネルギーを浪費 自分のメディアや活動で価値を創出する

結局のところ、彼らは「あなた」に怒っているのではなく、「変わりゆく世界」に怯えているだけなのです。

説教おじさんに共通する「思考の停止」と「過去への執着」

彼らの長文説教を読み解いていくと、ある一つの共通点に突き当たります。

1990年代で時計の針が止まっているということです。

アップデートされない「成功のOS」

PCやスマホのOSを更新し続けなければ最新のアプリが動かないように、キャリアの考え方も時代に合わせて更新が必要です。

しかし、説教おじさんは30年前の「Windows 95」のような思考回路のまま、現代の「YouTube」という最新プラットフォームに乗り込んできます。

  • 「終身雇用」という神話への固執:会社が最後まで守ってくれた時代の記憶が強烈すぎて、現代の「黒字リストラ」や「ジョブ型雇用」の現実が見えていません。
  • 「石の上にも三年」の過信:変化の速い現代では、合わない環境で3年耐えることは「忍耐」ではなく「時間の損失」になることもあります。

彼らにとって、私が提唱する「正社員絶対主義への疑問」は、自分の人生の基盤を否定されるような恐怖を感じさせるのです。

「アドバイス」と「説教」の決定的な違い

彼らの言葉は「アドバイス」の形を借りた「自己防衛」です。

  • アドバイス:主語が「あなた」であり、相手の目的達成を助けるためのもの。
  • 説教:主語が「私」であり、自分の正しさを再確認するためのもの。

彼らが長文を書くのは、相手を救いたいからではありません。

「俺の言っていることは正しいよな?」と自分自身に言い聞かせ、安心したいだけなのです。

過去の栄光という名の「コンプレックス」

「昔はもっと厳しかった」「俺たちの若い頃は……」

という言葉は、裏を返せば

「今はもう、あの頃のような輝きを自分は持っていない」

という寂しさの裏返しでもあります。

今の自分に誇れる挑戦がないからこそ過去の栄光を盾にして、現在進行形で挑戦している若者の足を引っ張ろうとしてしまうのです。

【反面教師】私たちはどんな「年の取り方」をすべきか

YouTubeのコメント欄に現れた「説教おじさん」の姿は、未来の私たちの姿かもしれません。

「今の若者は……」「最近の風潮は……」と愚痴をこぼし、見知らぬ誰かの挑戦に泥を塗る。

そんな寂しい大人にならないために、私たちは今からどんなマインドセットを持つべきでしょうか。

「自分は常にアップデート中」だと自覚する

老化とは、シワが増えることではなく、「新しい価値観を拒絶した瞬間」に始まります。

30代、40代、そして50代と年齢を重ねても、「自分の経験はあくまで過去のサンプルの一つ」として脇に置いておく勇気が必要です。

「正社員が当たり前」という時代を生き抜いた経験は素晴らしいです。

でも、それを「今のスタンダード」として他人に押し付けた瞬間に、知恵は毒へと変わります。

わからないことを「わからない」と言える強さを持つ

説教おじさんは、自分の無知を認められません。

だからこそ、自分の理解を超えた新しい働き方(副業、フリーランス、ギグワークなど)を「怪しい」「甘い」の一言で切り捨てようとします。

私たちが目指すべきは、「最新のトレンドを若者に教わることができる大人」です。

「それ、面白そうだね!もっと詳しく教えて」と言える謙虚さこそが、老害化を防ぐ最強のワクチンになります。

アウトプットの「質」と「場所」を変える

もし、自分の中に溢れるほどの情熱や経験があるのなら、それを他人のコメント欄という「借り物の場所」で消費してはいけません。

  • 他人の動画に説教を書くエネルギーがあるなら、自分で動画を一本撮る。
  • 他人の意見を否定する時間があるなら、自分のブログで代案を書く。

自分のメディアを持ち、自分自身がプレイヤーであり続ける限り、他人の足を引っ張る暇などなくなるはずです。

「沈黙」という名の優しさを知る

すべてに口を出すのが「親切」ではありません。

時には、たとえ危なっかしく見えても、若者の挑戦を黙って見守る。

それも立派な大人の役割です。

もし何かを伝える必要があるのなら、相手の土足で踏み込むような長文ではなく、「困ったときはいつでも言ってね」という短い一行だけで十分なのです。

ちぇるくん

私は、過去の栄光を語るおじさんではなく、「今まさに新しいことに挑戦して失敗しているおじさん(おばさん)」でありたい。 YouTubeのコメント欄で説教をする暇があったら、一本でも多くの動画を撮り、一つでも多くの新しい価値観に触れていきたいと強く思いました。

YouTubeコメント欄の「おじさん」への対処法3選

どれだけ正論を伝えても、彼らの目的は「対話」ではなく「マウンティング」です。

まともに戦うのは、素手で暴風雨に立ち向かうようなもの。以下の3つのステップで、賢く、軽やかに受け流しましょう。

スルー(非表示・ブロック)こそ最大の慈悲

YouTubeには「チャンネルにユーザーを表示しない」という神機能があります。

これを使えば、相手には自分のコメントが表示されているように見えますが、他の視聴者や私からは一切見えなくなります。

「関わらないこと」は冷たさではなく、自分のコミュニティの平和を守るためのリーダーとしての義務です。

反論して火に油を注ぐのは、相手の思うツボだと心得ましょう。

「これは壮大な自己紹介だ」と捉える

彼らの言葉がどれほど攻撃的でも、それはあなたへの評価ではなく、おじさん自身の「コンプレックスの吐露」です。

  • 社会を舐めるな」→「(俺は社会に痛めつけられてきたんだ)」
  • 「将来後悔するぞ」→「(俺は今の人生に満足していないんだ)」 そう脳内で変換してみてください。不思議と怒りが消え、「この人も大変なんだな」という菩薩のような視点が持てるようになります。

「コンテンツのネタ」として供養する

これが最もクリエイティブな解決策です。

今回のようにブログの記事にしたり、あるいは「こんなコメントが来ました」と動画のネタにしたりすることで、負のエネルギーを1円でも多くの収益やPVに変えてしまいましょう。

彼らが必死に打ち込んだ長文が、あなたの活動のガソリン(ネタ)になったと知れば、それ以上のリベンジはありません。

まとめ

「今の時代に正社員絶対主義だと詰む」という私の発信に、必死に噛みついてきたおじさん。

彼は私に、大切なことを教えてくれました。

「人は油断すると、過去の成功体験という名の檻に閉じ込められてしまう」という恐怖です。

キャリアに正解はありません。正社員が向いている人もいれば、フリーランスで輝く人もいる。

大切なのは、どの道を選んでも「自分の頭で考え、アップデートし続けること」です。

私は、見知らぬ誰かに説教を垂れることに時間を使うのではなく、新しい世界を面白がり、挑戦し続ける大人でありたい。

コメント欄の「壁」にぶち当たったおかげで、その決意はより一層強固なものになりました。

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