- 日本は無駄なルールが多すぎる
- このルール本当に意味あるのか
- なんでこんなルールが存在しているんだ
最近こんな風に思うことが増えたので個人的にルールについて個人的に思ったことをまとめてみました。
ルールは人を守るために必要なものが多いと思いますが、中にはなぜこんなルールがあるの?と思うことも少なくありません。
またルールがあるというのは決して良い面ばかりではなく、ルールによる弊害も多いと思います。
ルールが生まれる原因について考えてみる。
ルールが増える根本的な原因は過去に過度な行動をして誰かを傷つけた人がいたからです。
まずは分かりやすい例を中心に見ていきましょう。
パワハラに関するルール
まずはパワハラを例に考えてみましょう。
そもそもなぜ「パワハラ」なんて言葉が生まれてしまったのか。
理由は「パワハラ」と言われる程過剰な要求や指導をしていた人がいたからではないでしょうか。
ルールが生まれるのは基本的に被害を受けたり傷つく人が現れるからです。
極端な話、過剰すぎる指導や要求(暴言・暴行)などする人が1人もいなかったら「パワハラ」なんて言葉自体生まれていなかったと思います。
教育する側の方が大変?
パワハラという言葉が生まれて今1番難しい状況にあるのは教える側なのではないかと思います。
なぜならどこまでがパワハラになってしまうのか明確な線引きが難しいからです。
最近は何かに付けて
「パワハラだ!!」
と喚く社員も増えていると聞きます。
つまり何が言いたいかというと1つ新しい言葉が生まれるとそれはルールとしてドンドンエスカレートしていきやすくなるということです。
ルールが生まれれば当然ながら守られる側が優位になります。
それをいい事に守られる側が調子に乗ることもあるのです。
ここでパワハラの定義について考えてみると、そもそもモラルにも反する非人道的な行為を指す言葉ですよね。
真っ当な人ならまずやることのない行為ですし、ルールなんてなくてもパワハラ行為に及ばない人の方が大半だと思います。
しかし人間色んな人がいるものだから、一部の人間はそのモラルすら遵守できず極端な行動に出ることがあります。
すると社会はそれを野放しにはできませんから、全体としてルールを作らざるを得なくなってしまうんです。
そう考えれば「ルール」というのは一部のおかしな人のためにできたものという見方もできますよね。
しかし、現実はモラルを守って真っ当にやっている人の方が縛られて苦しんでいるケースも多いと思います。
ルールは一部のおかしな人のために作られているはずのに真っ当な人が不自由していることも多い?
ルールは一部のおかしな人のために作られているものが多いと思います。
セクハラにしたってパワハラにしたってまともな人ならルールの有無に関わらずモラルに反する行為というのは考えなくても分かりますよね。
しかし過去に一部のおかしな人がいたために「法律」として縛らなければいけない程厳格なルールが生まれてしまったのだと思います。
たしかにルールが生まれれば今後被害に遭う人を減らすための抑止にはなります。
しかし、その裏では必ずルールによる弊害も生まれてしまっていると思うんです。
ルールによって生まれる弊害
ルールによって生まれる弊害として分かりやすいのは「セクハラ」です。
たしかにセクハラに関するルールは女性を守るためになくてはならないものだと思います。
ただ、セクハラに関するルールがあることで恋愛に消極的な男性が増加し恋愛離れが加速(未婚化の加速)した面も否定はできないのではないでしょうか。
最近はセクハラに限らずルールがあるのをいいことに、何かにつけて過剰に振りかざす人も少なくありません。
男性側からすればこれはかなりの恐怖です。あと少しで交際に発展するかもしれないと思っている女性にいざ勇気を出してボディタッチしてみたら
セクハラだ!訴えてやる!
といわれてしまうリスクも絶対にないとは言えないですよね。
これがルールによって引き起こされる弊害の分かりやすい例です。
実際セクハラと言われるのが怖くて女性に今一つアプローチできない(性的な関係に発展できない)人も多いと思います。
にも関わらず女性側からは
最近の男は消極的でつまらない。
なんて言われるから理不尽ですよね。
おかしな人のせいで今後新たなルールが生まれそうなもの
今後ルールとして新たに生まれるのではと個人的に危惧しているのが「ナンパ」です。
ここ最近は「ナンパ師」を名乗るような人もSNSを中心に増えているように思います。
「○人の女性をストナンして則パコした方法」みたいなものが情報商材として販売されていることもありますね。
その背景には強引で非道なナンパにより被害を受けている女性も少なからずいるはずです。
被害を訴える人が増えて社会的に問題視されれば遅かれ早かれいつかルールとして縛られる日が来ると思います。
ナンパとは本来恋愛したい男女が出会いを楽しむためのものです。
なのにモラルに反する程過剰なことをするバカが増えれば犯罪として取り締まらなければならなくなってしまいます。
これに関しても一部のバカのせいでモラルを守ってやっている人が不自由してしまう例の1つですよね。
日本は意味のないルールも多い?疑問に感じたことをいくつか挙げてみる
ここまでは意味のあるルールを例に話を進めてみました。
しかし、ルールは意味のあるものばかりではないという側面もあります。
職場によっては根強く残っているくだらないルール
意味のないルールで最も思い浮かぶものが多いのは職場のルールかと思います。
- 朝礼時のスピーチ・社訓唱和
- タイムカードと実際の出勤時間の剥離(出勤時間より1時間早く出社などを強制すること)
- 上司よりも早く帰ってはいけない
- 夏や冬でもエアコンは何度以下まで下げない(部屋によっては無理があることもある)
- 服装の厳しい統制(冬でも制服スカートを強要するなど)
考えてみれば無駄なものばかりですよね。
特に服装面や気温関係は社員が過ごしやすいようにしてあげた方が仕事の能率だって上がるでしょうしデメリットの方が少ないはずです。
にも関わらず昔からの名残で根強く残り続けているルールが沢山あります。
無駄に細かい人が多いのは過剰に生まれすぎたルールの弊害でもある?
日本人は無駄に細かい人が多いともたまに言われますよね。
これに関しては個人的にルールが多すぎる故の弊害でもあるのかなと思います。
ルールが多い→守らなきゃいけないと意識する→ルールを守らない=悪のような風潮が生まれる→ルールに細かい人が増える
そもそもルールは守るものというのが大前提としてあります。
仮にそのルールが法律だったら守らないと最悪逮捕されることもありますよね。
要は、「ルールは破るとやばいもの」という認識もみんな持っているんです。
この認識があるから自然とルールに忠実になります。
さらにそのルールが多すぎるものだから
「めんどくさいからとりあえずルールさえ守っていれば良くね?」
と思考が停止してルールを守ること自体が目的化してしまうんです。
しかし現代において全てのルールが意味のあるものかというと決してそうではないですよね。
先述したように職場などでなぜか根強く残っているルールなんかは意味がないものも多いです。
時代が変われば見直されることだってあります。
大事なのはルールがなぜ存在し必要なのか考えること。
個人的にルールと向き合う時に大事なのはなぜそのルールが存在しているのか考えることだと思います。
- このルールがないとどんな被害があるのか
- ルールによって守られている人はどんな人なのか
- このルールが無ければ被害を受けて苦しむ人が出るのではないか
上記をよく考えることだと思います。
仕事においては
- このルールがなければ仕事が円滑に進まないのか
- このルールがあることで社内にどんな恩恵が生まれているのか
などよく考えてみましょう。
考えてみて重大な過失(法律やモラルに反する)に繋がるものではなく、むしろ全く恩恵をもたらしていないと感じるのであれば、無理に守る必要もないのではないでしょうか。
自分の頭で考えて必要ないと思えば自分なりに別のやり方も模索しつつ賢く生きていればいいと思います。
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