「やっと高評価が30個超えた!」
と喜んだのも束の間、隣に並ぶ「1」という低評価の数字。
それだけで、積み上げた自信がガラガラと崩れ落ちるような感覚になりませんか。
仕事の合間を縫って、睡眠時間を削って作った動画。
見知らぬ誰かに指先一つでつまらないと突き放されるのは、想像以上にキツいものです。
正直、低評価機能なんて無くなればいい。
そう震える手でスマホを置いた私のリアルな本音をぶちまけます。
なぜYouTubeの低評価はこんなにショックなのか?

なぜ、たかがネット上の「数字ひとつ」に、これほどまで心をかき乱されるのか。
それは、私たちが「ただのデータ」ではなく「自分の分身」を投稿しているからに他なりません。
社会人として働きながらなけなしの自由時間を削って動画を作っている私たちが感じる「ショックの正体」を深掘りしてみます。
「努力の結晶」を一瞬で否定されるから
YouTubeの動画1本を作るのに、どれだけの工程があるでしょうか。
- 企画を考え、リサーチする(数時間)
- 機材を準備して撮影する(数時間)
- 不要な間をカットし、テロップを入れ、BGMを選ぶ(十数時間〜数日)
仕事が終わった後のヘトヘトな体で、あるいは貴重な休日を返上して作り上げた、いわば「自分の子供」のような作品です。
それを、顔も名前も知らない誰かに、たった1秒の「ポチッ」という操作で否定される。
この「かけた熱量」と「否定される手軽さ」のギャップが、私たちの心をバキバキに折ってくるのです。
「拒絶」の理由がフィードバックされないから
仕事のミスなら、上司から「ここがダメだった」という指摘があります。
改善点が見えれば、次は気をつけようと思えます。
しかし、低評価は違います。
- 声が聞き取りにくかったのか?
- 内容が退屈だったのか?
- それとも、単に私の顔が気に入らなかったのか?
理由が一切明かされない「ノー」を突きつけられると、脳は勝手に「自分のすべてが否定された」と最悪のストーリーを作り上げてしまいます。
この「見えない敵」と戦うストレスは、社会人生活で受けるストレスとは全く別種の、底なしの不安を呼び起こします。
「良い評価」よりも「悪い評価」に注目してしまう生存本能
「高評価が30個もあるんだから、1個の低評価なんて気にしなくていいじゃん」
頭では分かっているんです。
でも、人間には「ネガティビティ・バイアス」という本能があり、100の賞賛より1の批判に意識が向くようにできています。
特に始めたばかりの頃は、視聴者との信頼関係がまだ築けていません。
30人の味方よりも、たった1人の「敵(に見える存在)」が、自分のチャンネルの未来を壊しにきた侵略者のように感じられてしまうのです。
正直、低評価機能って「いらない」と思いませんか?
正直に言います。
「YouTubeさん、もう低評価ボタン、物理的に削除しませんか?」。
これが私の偽らざる本音です。
高評価を非表示にする設定はあっても、ボタンそのものを消し去ることはできない。
この「いつでも石を投げられる状態」が置かれていること自体、クリエイターにとっては常に背後にナイフを突きつけられているようなものです。
なぜ、低評価機能は「いらない」と断言できるのか。
その理由をぶちまけさせていただきます。
「嫌なら見なきゃいい」がネットの鉄則のはず
テレビと違って、YouTubeは自分で選んで見るメディアです。
「あ、この動画合わないな」と思ったら、ブラウザの戻るボタンを押すか、タブを閉じればいいだけのこと。
それなのにわざわざマウスを動かして、あるいは指を伸ばして「低評価」をポチッと押す。
この「わざわざ不快感を表明しにいく」というエネルギーの使い道が、どうしても理解できません。
無言で立ち去るのが大人のマナーではないでしょうか。
初心者の「やる気」を削ぐだけの装置になっている
私たちのような始めたての社会人クリエイターにとって、YouTubeは「第二の挑戦」です。
仕事で疲れた体にムチ打って、ようやく1本の動画を世に出した。
その「一歩」を、匿名性の影に隠れた誰かが簡単に踏みにじる。
- 「もっと良くしよう」という改善には繋がらない(理由が不明だから)
- ただただ「拒絶された」という恐怖だけが残る
- 結果、次の動画を作る手が止まってしまう
これって、プラットフォームにとっても損失ですよね。
面白いクリエイターが育つ前に、低評価という名の「毒」で芽を摘んでいるだけのような気がしてなりません。
「批判」ではなく「嫌がらせ」に使われている現実
「質の低い動画を淘汰するために必要だ」という意見もあります。
でも、今の低評価ボタンは、純粋な内容への評価ではなく、単なる嫉妬や憂さ晴らしの道具になっていませんか。
- あいつ、社会人のくせに楽しそうだな
- なんとなく鼻につく
- 自分の意見と1ミリでも違うから叩いてやろう
そんな個人的な感情をぶつけるための「殴り込みボタン」が、なぜ公然と設置されているのか。
建設的なコメント欄があるなら、評価ボタンは「好き(高評価)」だけで十分なはずです。
低評価機能がなくなれば、もっと優しい世界になる
もしYouTubeから低評価ボタンが消えたら、私たちは
「どうすればもっと喜んでもらえるか?」
というポジティブな思考だけで動画制作に向き合えるようになります。
「叩かれるのが怖いから、無難なことしか言わない」という萎縮もなくなります。
「好き」の数は見えるけど、「嫌い」はそっとスルーされる。
そんな優しい世界の方が、よっぽどクリエイティブな場所になると思いませんか。
Youtubeで低評価を押す人の心理を分析してみた
あまりにショックだったので、私は冷静さを取り戻すために徹底的に調べてみました。
「一体どんな人が、わざわざ人の動画に低評価を押しにくるのか?」と。
結論から言うと、低評価を押す側の心理は、驚くほど「動画の内容」とは関係ありませんでした。
これを知るだけで、少しだけ心が軽くなるはずです。
鏡合わせの「嫉妬」と「劣等感」
これが一番多いかもしれません。
仕事も家事もこなしながら、自分の力で発信を始めたあなた。
その「前向きなエネルギー」そのものが、現状に不満を抱えている人の神経を逆なですることがあります。
「自分にはできないことをやっている」「楽しそうにしている」というキラキラした姿が、彼らにとっては自分の不甲斐なさを突きつけられているように感じ、攻撃(低評価)という形でバランスを取ろうとするのです。
日常のストレスをぶつける「サンドバッグ」探し
社会人なら分かりますよね、理不尽に上司に怒られたり、仕事が上手くいかなかったりする日のイライラ。
そんな時、匿名で、かつノーリスクで誰かを否定できる「低評価ボタン」は、格好のストレス解消ツールになってしまいます。
あなたの動画が悪いのではなく、「たまたまその時、彼らの機嫌が悪かった」。
ただそれだけ、通り魔のような災難なのです。
自分の正義を振りかざしたい「自称・審判員」
ネットの世界には「このジャンルはこうあるべきだ」「初心者のくせに生意気だ」という独自の正義感を持った「自称・審判員」が一定数います。
彼らにとって、低評価はアドバイスのつもり。
「まだそのレベルなら動画を出すな」という傲慢な親切心で押しているパターンです。
もちろん、理由を書かないアドバイスに価値なんて1ミリもありません
10%は「ただの操作ミス」
これ、意外とバカにできません。
- スマホで寝落ちしながら見ていた
- スクロールしようとして指が当たった
- 高評価を押そうとして隣をタップした
YouTubeのUI(操作画面)上、低評価ボタンは高評価のすぐ隣にあります。
「あ、間違えた」と思っても、わざわざ消しに戻らない人は多いのです。
ショックから立ち直るための「3つの処方箋」
低評価の正体が「相手の都合」だと分かっても、やっぱり数字を見ると心がチクチクしますよね。
そこで、私が実際に試して効果があった、社会人クリエイターのための「心の守り方」を3つお伝えします。
これを知っておくだけで、次に「1」が増えても、少しだけ冷静になれるはずです。
YouTube Studioの「数値」から距離を置く
投稿直後は反応が気になり、1分おきにアプリを開いてしまいがちですが、これが一番の毒です。
特に「低評価」の数字は、見た瞬間に脳が戦闘モードに入り、ストレスホルモンが分泌されます。
通知はオフにし、チェックは「週に一度、分析のためだけ」と決めましょう。
数字はあくまでデータであり、あなたの価値を決める審判ではありません。
画面を閉じて、温かいコーヒーでも飲む時間を優先してください。
「低評価=インプレッションの拡大」と脳内変換する
低評価がつくということは、あなたの動画が「身内やファン」という温かい輪を飛び出し、全く価値観の違う「未知の層」にまで届いた証拠です。
YouTubeのアルゴリズム上、低評価も一つの「反応(エンゲージメント)」としてカウントされ、実はおすすめに乗りやすくなる皮肉な側面もあります。
「お、知らない人にまで届くほど有名になっちゃったか」と、自分の影響力が拡大したサインとしてポジティブに解釈してしまいましょう。
「高評価30個」をくれた人の顔を思い浮かべる
たった1つの低評価に心を奪われるのは、あなたを支持してくれた30人のファンに対して失礼だ、と考えてみてください。
1人の「通りすがりの攻撃」に怯えて投稿をやめることは、あなたの動画を楽しみに待っている30人の期待を裏切ることになります。
意識のスポットライトを、影(低評価)から光(高評価)へと強制的に切り替えましょう。
その30人が喜ぶ顔を想像しながら次の企画を練る方が、よっぽど生産的です。
まとめ
正直に言えば、明日また低評価がついたら、私はやっぱり少しだけ凹むと思います。
人間だもの、否定されて平気なわけがありません。
でも、今回こうして自分の本音を整理してみて、確信したことがひとつあります。
それは、「低評価を押すだけの人」よりも「動画を作って公開したあなた」の方が、100倍価値があるということです。
画面の向こうで指先ひとつ動かすだけの誰かに、あなたの情熱やクリエイティビティを止める権利なんてありません。
低評価は、あなたが新しい世界へ一歩踏み出し、誰かの心に(良くも悪くも)触れたという「挑戦の証」でしかないのです。
社会人として忙しい日々の中、自分の声を世の中に届けようとするその姿勢は、本当に素晴らしいものです。
「低評価機能なんていらない!」と心の中で叫びながら、その怒りを次の動画のエネルギーに変えてやりましょう。
1個の低評価に怯えるのではなく、30個の高評価をくれた「味方」のために、またカメラを回しませんか。
私も、明日からまた編集作業に戻ります。




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