「地頭がいいのに勉強しない」のか「勉強しないけど地頭がいい」のか?

「地頭がいいのに勉強しない」のか「勉強しないけど地頭がいい」のか?

地頭がいいの定義って結局なんなんだろう。

この記事にたどり着いたあなたはこれまでに何度か「地頭がいい」といわれたことがあるのではないでしょうか。

私も、特別勉強ができるわけではないですが、周りから「地頭が良くて羨ましい」といわれることがあります。

中でも一際印象に残ったのが「地頭いいのになんで勉強しないの?」という質問。

この質問をされて私はふと疑問に感じました。

  • 地頭と勉強になんの関連があるのか
  • 勉強しない奴が地頭がいいといえるのか

ちょっと哲学的な話になりそうですが、本記事では「地頭がいい」について私が疑問に感じたことをありのままに綴っていきます。

目次

「地頭がいいのになんで勉強しないの?」といわれて感じた違和感

まず結露からいうと、「地頭がいいのに勉強しない」は矛盾しかないと思います。

そもそも地頭と勉強を関連付けようとすること自体ナンセンス。

なぜなら「本当に地頭がいい人は勉強しないはずがないから」です。

本当に地頭がいい人は勉強しないはずがない

今の日本社会を生き抜くなら勉強した方が圧倒的に特だからです。

資本主義である以上、我々人間は働いてお金を稼がないといけません。

お金がないと生きていけないからです。

そのお金がたくさんもらえる確率は「学生時代に勉強してきたかどうか」に大きく左右されます。

勉強したからといって必ずしもたくさんお金がもらえる職に就けるとは限りませんが、確率は上がるのです。

逆に地頭がいいことを評価されて、高収入な職に就く手段はほとんどありません。

そもそも「地頭がいい」を評価する基準なんてないのですから当然です。

そんな状況にも関わらず、地頭のいい人が好き好んで「勉強しない」という選択を取るでしょうか。

もちろん、勉強しないでもお金を得る手段はたくさんあります。

  • スポーツ選手になる
  • アイドルになる
  • 芸能人になる
  • 起業する

などなど。

挙げればもっとたくさんあります。

仮に「勉強しないけど地頭いい」といわれる方がそのような道で成功を掴めているのなら、地頭がいいといっても間違いではないでしょう。

しかし、「地頭がいいけど勉強しない、秀でた才能もない」人は本当の意味で地頭がいいとはいえないと思います。

なぜなら「勉強しない」という選択で自分の人生を有意義な方向に導けていないから。

特別な才能もないのに勉強しない選択を取る人は、地頭がいいように見えるだけで「単なるバカ・怠け者」です。

自分の力量や才覚も分かって行動できる人こそ、地頭がいいのだと私は考えています。

以上が、「地頭がいい人は勉強しないはずがない」という1つの考えです。

ここまでの話は、「お金を稼ぐこと=成功」を前提とした場合の話です。

「勉強しないけど地頭がいい」は存在するのか?

ここでさっきとは逆説的な意見も綴ります。

勉強しない・してこなかったけど、地頭の良さが滲み出ている人も少なからず存在します。

ただ、この話は学生や社会人なり立てなど若者の時点ではまだ分かりません。

30代を過ぎたあたりから段々と浮彫になります。

その基準の1つが「自分の人生を幸せ(満足)だと感じられているかどうか」だと思うんです。

自己満でも幸せだと思える人生を送れている人は地頭いい気がする

結果的に幸せだと思える人生を送れているなら地頭がいいといえるのではないでしょうか。

なぜなら人間が最終的に目指すゴールは幸せ(満足)な人生を送ることだからです。

ほとんどの地頭がいいといわれる人達は、

  • 学生時代にたくさん勉強して
  • 高学歴を手に入れて
  • 大手企業に就職する

ことこそが正解だと信じて疑いません。

だから持ち前の地頭を活かして、必死に競争に打ち勝とうと努力します。

そうしてなんとか理想の地位を手に入れることができても「幸せじゃない」と感じる人の方が多いのです。

勉強や仕事ができてもそれで幸せになれてないなら

どうしたら幸せになれるのか考えて行動できてない

という点で地頭が良くないといえる気がします。

つまり、「勉強」や「仕事」を頑張った先に自分が幸せになる未来があるか考えて行動できる人こそ、本当に地頭のいい人なんじゃないかと思うんです。

中には自分が幸せになるために「勉強は必要ない」と早々に気付いている人も多いように思います。

勉強では勝てないから他の得意を伸ばして幸せになろう。

そんな風に考えて行動できる人も地頭のいい人といえる気がします。

「地頭がいいね」は誉め言葉とは限らない

「地頭がいい」という言葉についてもう1つ思うこと。

それは人から言われる「地頭いいね」が誉め言葉とは限らないということです。

むしろ「地頭だけいいね」という皮肉や揶揄として使う人も少なくありません。

先述した通り「本当に地頭がいい人」は勉強しないはずがないのです。

なので私は、勉強しない人が地頭いいという部類に入るわけないとも考えています。

本当に頭いいと思う人に地頭いいなんて言わない

これまでを振り返ってみても「こいつは本当に賢くてできる奴だ」と思う人に「地頭がいい」なんて言ったことがないように思います。

なぜならそんな人はすでにめちゃくちゃ勉強と努力を重ねているから。

なので使うとしたら「知見が広い」「博識が高い」などと評するんじゃないかなと。

こういうのは持ち前の地頭を活かしてたくさん勉強した結果、評価されるものです。

逆にいくら地頭が良かろうと勉強しない人に対して使うことはありません。。

そう考えると勉強しない人に対する「地頭いいね」は誉め言葉なわけがない

むしろ使う人の考え方によっては、皮肉や揶揄も混じっているんじゃないかなと思うんです。

なので誉め言葉として使うのはあんまりベターじゃないのかなと。

むしろそれを誉め言葉として使うことで、自分自身の品格も下げてしまうような気がします。

まとめ

「勉強しないのに地頭いい」なんて言う人もいますが、正直根拠がないと支離滅裂過ぎる言葉だなと思います。

だって本当に地頭のいい人が勉強しないわけがないのですから。

もちろん勉強しないけど地頭のいい人は一部存在するとは思いますが、なんかおかしな言葉だなと。

まあ、一個人の疑問を思いのまま書いてみただけなのであんまり気にせず考え方の1つとして参考にしてみてください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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